古代の遺構? その2

引き続き、少しだけ考えてみたいと思います。
前回は目に見える事実の紹介でしたが、今回はそこからの想像です。

仮に、この地形が 古い時代に意図を持って造られ、また霧島に向けられたものだとしたら、この地にいた人々には霧島を崇めるような習俗があったのではなかろうか。ひょっとすると、先祖が霧島に降り立ったというような伝承もあったかもしれないと思えてきました。

そしてひとつ気になる点があります。前回も触れた南端の削られた部分です。

何のために削ったかは不明ですが、削ったということは、この地形が持つ意味がそのときすでに失われていたことを示します。
つまり、すでに長い年月を経て忘れ去られていたか、或いはこの地形を造った人々がこの地を去っていたということが考えられます。

この削られた部分は、檍第2遺跡として10年ほど前に発掘調査が行われており、建物の遺構などが見つかっています。地形には触れられていませんが、調査結果はネットで見ることができますので、興味ある方は検索してご覧ください。

調査結果によると、この部分にある遺構の年代はわからないようですが、すぐ横の檍1号古墳には掛かっていませんので、削られたのは古墳時代以降のことでしょう。

もしも、削られたのが古墳時代であり、この地形を造った人々がすでにこの地にいなかったとしたら、その人々はどこへ行ったのでしょう。
などと考えると、想像が大変楽しくなってきます。

※ 先日テレビを視ていたら、タレントの出川哲朗氏一行が電動バイクでこの場所を走り抜けていきました。 直接関係はありませんが、 タイミングが良かったので、ちょっとおかしく思いました。

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