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古代の遺構? その2

引き続き、少しだけ考えてみたいと思います。
前回は目に見える事実の紹介でしたが、今回はそこからの想像です。

仮に、この地形が 古い時代に意図を持って造られ、また霧島に向けられたものだとしたら、この地にいた人々には霧島を崇めるような習俗があったのではなかろうか。ひょっとすると、先祖が霧島に降り立ったというような伝承もあったかもしれないと思えてきました。

そしてひとつ気になる点があります。前回も触れた南端の削られた部分です。

何のために削ったかは不明ですが、削ったということは、この地形が持つ意味がそのときすでに失われていたことを示します。
つまり、すでに長い年月を経て忘れ去られていたか、或いはこの地形を造った人々がこの地を去っていたということが考えられます。

この削られた部分は、檍第2遺跡として10年ほど前に発掘調査が行われており、建物の遺構などが見つかっています。地形には触れられていませんが、調査結果はネットで見ることができますので、興味ある方は検索してご覧ください。

調査結果によると、この部分にある遺構の年代はわからないようですが、すぐ横の檍1号古墳には掛かっていませんので、削られたのは古墳時代以降のことでしょう。

もしも、削られたのが古墳時代であり、この地形を造った人々がすでにこの地にいなかったとしたら、その人々はどこへ行ったのでしょう。
などと考えると、想像が大変楽しくなってきます。

※ 先日テレビを視ていたら、タレントの出川哲朗氏一行が電動バイクでこの場所を走り抜けていきました。 直接関係はありませんが、 タイミングが良かったので、ちょっとおかしく思いました。

古代の遺構かな?

随分長く空きましたが、 今回 ブログのタイトルをちょっと変えて、これまでと違った話をしたいと思います。

近年、Googleマップや 国土地理院のサービス で過去の航空写真が見られるようになりましたので、出身地の宮崎市の写真を見ていたら、地形が不自然なことに気づきました。
場所は宮崎市の檍(あおき)地区で、砂丘の上に古墳がいくつもある場所です。
写真は、 国土地理院 のサイトからダウンロードした昭和23年1月27日米軍撮影の一部です。 矢印部分が檍地区です。

拡大して輪郭を描いてみました。
矢印部分は檍1号墳(前方後円墳)です。

奇妙な形ですが、南側はシンメトリックな構造で、しかも左右の円はほとんど同じ直径(約130メートル)の真円に近い円弧ですので、自然のものではなさそうです。
筆者はここにある檍中学校(撮影時にはまだありません)に通っていましたが、 下図の黄色の斜線部は、周りの低地と同じ高さに削られているため、地上からは円の一部であるとは気づきませんでした。しかし、写真では円構造の痕跡がハッキリ判ります。この部分については次回説明したいと思います。

この地形は、現在ではほとんど失われていますが、他の年の写真を見ると、昭和30年代まではなんとなく残っていたようです。

さて、ここからは素人の勝手な想像です。
この地形に関して何か研究があるかと探してみましたが、少なくともネット上では 見つかりませんでした。
もしかすると、研究されている方がいらっしゃるかもしれませんが、ご容赦ください。

古墳があることは知っていましたが、 水に浸からない高い場所だから古代人が住んでいたのだろう程度に思っていました。
しかし、この地形を見てから、この場所に何か意味があるような気がしてきました。

ここは海岸に沿って南北に走る砂丘の南端にあります。
真南に向いていても良さそうなものですが、何故かわざわざ丘を削って西に向いています。しかも微妙に真西からズレています。
そこで、ふと気づきました。
ここからは霧島の山々がよく見えます。
試しにGoogleマップの距離測定で、天孫降臨の言い伝えもある高千穂峰の山頂と現地に線を引いてみました。

現地を拡大して、昔の地形を重ねてみます。
ほぼ方向は合っていますね。

ついでに3Dで鳥観にしてみました。
便利な機能ですね。霧島は実際このように見えます。
左端の尖っているのが高千穂峰です。

こうしてみると、古代人の信仰や神話に関係がありそうな気になってきます。
考察はさらにつづく予定です。

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